玉ねぎカフェ

文学作品の一節を引いたりしながら、私が社会について考えていることを綴っていきます。引用魔ですので。

思考を外注出来たらどれほど楽だろうか。

「これまでの人生を振り返ってみるがいい。自分の身に降りかかった重大な出来事は,誰かの悪意の産物だったかな?あるいは善意の賜だったかな?違うはずじゃ,物事の歯車がどうしようもなく狂ったせいだったはずじゃ。」

カーター・ディクスン『ユダの窓』)

 

 

人の意識というのは面白いもので,ある時,何気なく目にした言葉が自分のかねてからの考えにぴったりと合わないまでも,少しでもかすめるものであった場合,それをかくも都合よく解釈し,心に強く留めることがあります。新年早々に出会った,かの名探偵H.M.卿の人生訓も私にとってはそのように作用したわけであります。つまり,「世界を左右するような巨悪が想定できない世界は不幸だ」という考えと結びついたのです。言い換えれば,ハンナ・アーレントアイヒマンを挙げて,「悪の矮小さ」を指摘した際に受けた凄まじいバッシングの意味が私たちにとっての「不都合な真実」ではないかということです。

 

それは新年の番組で安倍首相を嬉々として批判する評論家やコメンテーターたちが,イランの暴動を見て言葉少なに複雑な状況を指摘した時にも感じました。イランは最高指導者を頂点にした半独裁体制ですが,今の大統領は穏健派のロウハニ師で,彼はアメリカとの核合意を取りまとめた開明的な人物です。トランプ大統領になってからその合意は反故にされかけているわけですが,イランの核開発はアメリカばかりでなく国際的な非難を受けていますし,シリアやレバノンに対するあからさまな干渉は決して褒められたものではありません。しかも,今回の反政府デモは明確な指導者を欠いた,イデオロギーなき民衆運動です。SNSを通じて盛り上がった若者を中心とする庶民の不満の爆発(まあ,小さな,と付言しておきますが)です。首謀者もいなければ,攻撃されるイラン政府も明確な悪者ではありませんし,圧政の権化でもないのです(これは反アメリカ,反トランプに凝り固まっていたコメンテーターたちや番組の姿勢も相まって,彼らにとってのわかりやすい敵がいなかったことにも起因しますが)。

 

それに対して,安倍首相を非難する彼らの姿は無邪気で,とても微笑ましいくらいです。安倍首相がいなくなれば日本は平和に,良い方向に進むと純粋に信じているくらいに感じられます。彼が絶対悪で,醜い権力欲によって突き動かされ,圧政を敷き,日本を戦争と混乱へと導こうとしている。そんな三流シナリオがあれば私も嬉々として乗っかりたいところですが,事情はそれほど簡単ではないのです。実は,そんなことはみなわかっています。彼を追い落としたところで何が変わるわけではないのです。日本の権力者が行使できる権力はさほどのものではありません。せいぜい,官僚に圧力をかけて「腹心の友」に獣医学部を作らせる程度のことです。

 

さて,幸いなことに私たちの内面は自由です。誰も「時計仕掛けのオレンジ」ではないですし,ビッグブラザーは愛してくれていないし,幸福が義務でもありません。だから,世界の不条理を自分とは無縁な巨悪に仮託してもよいし,「物事の歯車がどうしようもなく狂った」「時代の関節が外れてしまった」という大いなる偶然に身をゆだねるのもよいでしょう。そして,「悪の矮小さ」を見つめて,世界の不条理の種子を自分自身に見出すのも可能です。

 

「――あなたたちはこのチューリングの前提を厳密に議論したことがある?チューリングは人間が思考できる存在であることを前提とした。しかしあなたたちはその前提を真剣に考察してみたことはある?それとも,人間の考える状態を考えると呼ぶなどという同語反復に逃げ込むつもり?人工知能を研究しているつもりの紳士各々方,『機械は考えることができるか』の前に,まず『人間が考えることができるか』という問題を如何に考察する?」

瀬名秀明,『デカルトの密室』)

 

 

新年あけましておめでとうございます。

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