玉ねぎカフェ

文学作品の一節を引いたりしながら、私が社会について考えていることを綴っていきます。引用魔ですので。

『ナジャ』、あるいは自動生成する物語

「美は痙攣的なものだろう、それ以外にはないだろう。」


私たちの読書は言葉に囚われている。それは一見とても当たり前のことで、疑問をさしはさむ余地はないように思われる。『ナジャ』が私に投げかけてきた問いは、私が長年覚えていた読書の問題を改めて浮き彫りにするものだった。
読書において、私たちは(あえて私たちとする)言葉を追う。意味を追う。作者の意図を追う。私は果たして誰を追っているのか?『ナジャ』には制約がない。『ナジャ』において意味は無力だ。

「わたしの呼吸がとまると、それがあなたの呼吸のはじまり。」
「あなたが望むなら、わたしはあなたにとってなんでもないものに、それとも足跡だけのものになるでしょう」

ナジャの言葉を字義通りに捉えて何のことがあろう。ナジャという女性についての情報はいくらでもある。実在した女性で、作者ブルトンの心を震わせた女性で、精神病院へ収容されたレオナという女性。訳者がいくら詳細に解説や注を付したところで『ナジャ』の読書は確定しない。最後には、言葉という瓦礫を前にして私は途方に暮れる。いや、『ナジャ』には言葉があり、文字があり、絵があり、写真がある。それはあらゆる手掛かりであるのだが、それが私たちに共通のゴールを、唯一無比な解釈を与えてくれることは決してない。物語はオープンなまま、自由で覚束ない。ブルトンもまた、40年後に「遅れた至急報」を書いたのだ。ブルトンがもし永遠に生きているとしたら、『ナジャ』はいくらでも至急報を送り続けるだろう。彼にとって、過去のすべてと現在の何某かの一切合切が「合図」となって、『ナジャ』の契機を作り上げる。『ナジャ』は変化を続ける。作者の意図とは関係なく、作者を操るように、痙攣的に、非線形フラクタルを描き続ける。

作者というメディアがなくなった今、彼女の物語は読者の中で痙攣的に生成し続ける。
「私は誰か?」

誰がいるのか?あなたなのか、ナジャ?あの世が、あの世のすべてがこの人生のなかにあるというのは本当か?私にはあなたのいうことが聞こえない。誰がいるのか?私ひとりなのか?これは私自身なのか?

狂おしいくらいに、自由な読書が私の前に横たわっている。

笑いの大學

皆さまは、文部科学省が実務教育に特化した「新たな高等教育機関の設立」を推し進めようとしていることはご存知でしょうか。私も5、6年前からこの件を小耳にはさむようになり、まさか本気で進めるつもりだとは考えておりませんでしたが、お国は本気のようです。
次のような中教審の答申があります。


平成28年05月30日
個人の能力と可能性を開花させ、全員参加による課題解決社会を実現するための教育の多様化と質保証の在り方について(答申)(中教審第193号)


中教審文部科学省の諮問機関であり、実際に政策を決定する権限はありませんが、この審議会が持つ教育政策への影響力は絶大です。中教審の答申を追うだけで向こう10年くらいの政策の方向性を占うことができます。国は教育政策をコロコロ変えているように見えても、案外、中・長期的な展望を持って着々と世論と政策を誘導しているのです。殊に保守的な高等教育については、私が高等教育界隈で仕事をするようになって早10年、ほぼ一貫した方向性のもとでお国は各施策を実行してきています。私の感覚だと高等教育政策はここ20年くらい毎年同じことが、まるで『ボレロ』のように変奏とオーケストレーションの重厚さを増しながら、繰り返されているという印象です。

さて、件の答申は2部構成となっていて、最初の部分がまさにその「新たな高等教育機関の設立」に割かれています。それは「こうこうこういう理由で設立すべきだ」という理念的な話ではまったくなくて、養成する具体的な人材像や教育課程、設置審査のありかたまで言及しています。私はいくつかの実際的な理由で、件の高等教育機関の設立は一筋縄ではいかないと思っています。そして、二つの、これも実際的な理由(私は理念や理想を持ち合わせない人間だとかねてから主張しております)から反対の立場でした。

そう「反対だった」のです。これは別にお国の政策に賛意を示しているのではなくて、私自身の反対理由が浅はかだったかもしれないと反省しておるのです。私はこう考えていました。

一つめの理由、新たな形態の学校の設置は、天下り先が細っている文科官僚の権益と再就職先の確保につながりかねないということ。これは昨今の文科省の不祥事を挙げるまでもなく、なんともあり得そうなことです。とりわけ、大学を初めとする高等教育を所管する高等教育局は権益の少ない、弱い部局です。文科省の場合、出世コースは義務教育を所管する初等中等教育局であって、高等教育局あがりの事務次官は私の知る限り(といってもあまりしらないですが笑)おりません。文科官僚の明るい人生設計にとって「新たな高等教育機関の設立」は願ったりかなったり、神の恩寵に相違ありません。昨今のトレンドからすれば、行政権と行政コストの膨張は時代に逆行することにほかなりませんし、これらの点では賛成し難いのは理解していただけるでしょう。

そして、二つめの理由です。もし、この政策が実現した場合、結局のところ、専門学校からの改組が相次ぐだけで、苦境が続く専門学校業界の救済と安易な「準大学」の増加につながり、今まで以上に学士さまが粗製生産されるに過ぎないのではないかという疑念です。件の答申でも海外における実務系学校の高等教育機関化の例が挙げられています。たとえば、ドイツではHochshule(「実業高等学校」と訳されることが多いです)と大学の学位制度を一つにして、現地語(つまりドイツ語)で海外の人には馴染み薄い学位名を英語のBachelorとすることに変更されました。また、これは答申の例ではありませんが、海のちょっと先の台湾では大学のほかに科学技術大学なるものが設定され、大学と同等の高等教育機関とみなされています。日本でも専門学校に箔をつける政策がかなり実施されてきました。たとえば、専門士や高度専門士という称号を与え、大学や大学院への進学を有利にしたりとか、高度専門課程の認定によって高度な実務教育を行う課程の整備を進めたりとかです。海外の事例の功罪を見ても仕方ないので、ここでは大学教育自体の低迷が声高に叫ばれる昨今、これを解決しないままに新たな(敷居の低い)高等教育システムを導入することには思慮のある市井の皆さまのコンセンサスは得られないだろうということを指摘すれば十分でしょう。

というのが、最近までの私の意見です。私は件の答申をしっかりと読むにつけ、自分がお国を支える官僚組織の深謀遠慮に気づかない、俗物似非インテリとしての馬脚をさらしてしまっているのではないかと、疑うに至りました。つまり、二つめの理由はお国の意図とはまったく正反対の、まさにとんちんかんな批判だったのではないか、と。

よくよく今までの個々の政策を見てみると、徒に大学を増やし、その質を貶めていると考えられたものが、実は本当の意味の(これは誤解を招く文句ですが、私の乏しい語彙力と表現力のいたらなさです)大学を選抜し、そこに資源を集中するための施策だったのではないかとも考えられるのです。お国としては最初から、1990年初頭の大学設置基準の大綱化以降、2000年代の初めまでは大学の大衆化を推し進める腹積もりで、これ以後は大衆化された高等教育に新たなヒエラルキーを構築する魂胆だったと。
こう考えられるのは、私がこの界隈で働くことになってからずっと言われ続けて、その度に大学人から批判されていた「大学の機能別分化」というお題目にあります。大学界隈にいない人には馴染み深いフレーズではないと思いますが、簡単に言うと、「世界をリードする研究大学」とか「社会でリーダーになれるエリートを養成する大学」とか「地域で働く人材を育てる大学」とか、大学を役割別に7つくらいに区分けして、各大学がその役割に応じて教育研究をやっていきましょうというものです。これは先に述べたとおり、「ます初めに研究があって、その成果を教育や社会に還元していくことが大学の本分」という考え方に反するもので、第一に研究者でありたい、研究機関でありたい大学人にとっては受け入れ難い考えでした。
しかし、今や大学の40%以上が定員割れする状況にあり、各大学が市場のニーズや自らの強みを再考してマーケティングをし直した結果、かなりの大学が「就職に強い」を売りにするようになりましたし、「国際性」や英語教育を強調して受験生を集めるようになりました。「ノーベル賞が取れるような研究」(このフレーズは多分に研究への冒涜を含んでいます)を売りにする大学がほとんどないことからも、多くの大学が本分であるはずの研究を後退させざるをえない悲しい現実がうかがえます。
一方でお国は研究力の強化を捨てているわけではありません。ここ数年でもリーディング大学院の認定や研究に専念させるための学位規則の改正、今年にはなんと指定国立大学法人の認定を行うらしいです。お国は基礎研究を軽視していると、かのノーベル賞科学者も強く批判していますが、これらの施策は研究資源を集中させるためのもので、結局は一部の能力ある研究者の利益になると思われます。ノーベル賞受賞者を生んだ昭和の牧歌的な研究環境は二度と訪れないにしても、研究力のある大学を選抜することによって(ということは、擬似的に研究に専念できたごく少数の研究者がいた昭和時代の環境を作り出すことによって)、研究に専念できる選ばれし研究者を生み出そうとしているのかもしれません。とすれば、文系の国立大学の定員を減らし、理系の学部への改組を迫るあのやり方にも意味があるというものです。つまり、職業教育レベルの準高等教育は私立大学に委ねて、いずれはこれらの私立大学を「新たな教育機関」に変更していただき、生産性の高い(すなわち、安くて実効性の高い)教育をしていただきます。そして、できる限り限られた高等教育資源を生産性は低いものの、将来の可能性を大いに秘めた秘密の実験室に投資できるようにしよう、と。ここまでくれば、高等教育の無償化にだって意味は出てきます。

という誇大妄想的な考えが去来したかと思うと、こんな日本を支える偉大な方々の遠大な思考には全くついていけないと考えるに至り、憲法9条という十字架を下げながらお国のために尽くしている自衛隊の皆さんに敬意を表しつつ、私といえば、せいぜいお肉のために戦おうと心に誓う本日であります。

Remove all ads

ピンク色の研究

「うちで店員や事務員を採用するときは,外見のこのましいことをとくに重視します。」
(…)
「かならずしもきれいでなくとも。決め手はむしろ道徳的なピンクの肌の色ですねえ。お分かりでしょう……。」


ジークフリート・クラカウアーのルポルタージュ『サラリーマン ワイマル共和国の黄昏』の一節である。このレポートは1920年代のベルリンのサラリーマンを統計データやインタビューなどを通じて多角的にスケッチした,クラカウアーの作品の中では特に評価の高いものとされている。しかし,クラカウアーという人物自体が多くの人たちにとってなじみ深いものではないので,彼の評価がどうとかそんなことに言及しても意味のないことかもしれない。ジークフリート・クラカウアーは1920年代から戦後にかけて活動した社会派ジャーナリスト,映画評論家のドイツ系ユダヤ人である。とりわけ映画評論の分野では先駆者の一人とみなされており,専従で広範にわたる映画評論を展開したのは彼が初めてなのかもしれない。また,本作『サラリーマン』は世界で初めてのサラリーマン論として,非常に地味ながらも優れた先見性というか,時代感覚を感じさせる人物である。
私はクラカウアーをヴァルター・ベンヤミンとの関係で知った。彼とベンヤミンは友人関係というほど親しくはなかったようだが,互いに関心分野が重なっていたことや同じユダヤ人で,ナチ時代は迫害を受けながら在野の著述家,研究者として糊口をしのいでいたという共通項から,それなりにやり取りがあったようである。本著『サラリーマン』についても,ベンヤミンは書評を寄せている。まあ,必ずしもお互いを高く評価し合っていたという形跡は見られないのだが(蛇足だが,共通の知人で戦後フランクフルト大学の教授となり,いわゆるフランクフルト学派の主軸として活躍したT.W.アドルノはクラカウアーを酷評している。批判哲学の正統的後継者たるアドルノにとっては,生活のためとはいえ,マスメディアの中でコロコロと立場を変える八方美人なクラカウアーは決して誠実な思索家とはみなされなかったというのは想像に難くない。)。

さて,最初の引用は,クラカウアーがある企業の人事担当者にインタビューした際のやり取りの一部である。この担当者の言葉や採用の基準,昇給の評価の基準などなど,『サラリーマン』で言及される内容は80年の時を経ているとは思えないような,今でもどこかで聞きそうな内容に溢れている。このクラカウアーの先駆的(笑)な作品をもって私たちの生きる現代社会の問題を解き明かせるなどとは思っていないが,なかなか耳の痛い,陰謀論めいた実話や噂話に通底する話題が多いもので,なかなか興味深い。
上述のやり取りの中で明らかになるのは,今も昔も変わっていないとはいえ,我々サラリーマンにとっては残酷な結論である。つまり,「採用基準なんてものはなく,求められる人物像なんてものはなく,ただただサラリーマンというものは替えの利く要員に過ぎない」ということだ。この事実は,クラカウアーも指摘しているとおり,サラリーマンという人種が工場労働に従事する「プロレタリアート」に近しい性質を備えていることを如実に表している。ただ,サラリーマンが厄介なのは次の言葉に集約されるであろう。

「銀行公務員の一部はブルジョア階級の出身です。レベルはたしかにプロレタリア的とはいえない。」

サラリーマンは高い自意識を備えている。というよりは,サラリーマンになる人間というものはある程度の高度な教育を受けていて,労働(いい言葉が見つからないので,誤解を招く可能性を侵してこのタームを遣うことにしよう)自体にただの生活の糧以上のことを要求する力と余裕のある人間に属する。一言でいえば,私たちは自分の人生にただ生き残る以上の質を求める。
日本において,高校を卒業して就職する率が20%弱であり,約80%の人間が中等教育以上の教育を受けるのが現実である(詳細を記せば,大学進学率が約50%,短大を含めて約55%,専門学校等まで広げて80%であり,これらをすべて高等教育とみなせば80%の人間が何らかの高等教育を受けているという試算になる。OECD平均の高等教育進学率が62%なので,これが高いとみるか低いとみるかは高等教育の定義によるだろうが)。高等教育というものの実態は,高度な研究活動に勤しむことではない。西欧型の近代的リベラルアーツの考え方からすれば,社会にコミットできる立場を前提として,変化し続ける時代や社会に柔軟に対応し,それらを先導できる教養・技能を身につけることが高等教育の本筋である。現実の大学教育がこの水準に達していないという議論はあるにせよ,私たちのかなりの部分がそういう自意識を育む土壌で生きてきた。そんな高度に発達した自意識の果てが,替えの利くサラリーマンだとすればそれはどれほど不毛な結末であろう。

そもそも(これは「基本的に」という意味ではないらしい笑),プロレタリアートという階級は高等教育を受けた自意識を前提としていない。マルクスが唱える「完全に社会化された人間」というのは,社会を主軸にした世界観であって,それには自由も平等もあり得ない(この場合の「社会化」は「ゲゼルシャフト化」の意味であり,これは利害団体の集まりを意味する言葉であるから,「社会」と「自由」「平等」の哲学的な議論を待つことなく,自由と平等は存在しない)。しかし,西欧型の近代的リベラルアーツは「自由」と「平等」を称揚する学問(というよりは教育)体系なのである(残念なことにリベラルアーツ教育から生まれた社会主義的な考え方は,その価値観の否定を含んでいるため,マルクス原理主義は修正しながらでしか生き残ることはできないと思われる)。したがって,今日のサラリーマンがクラカウアーの分析したワイマール共和国のそれと比べて,さほど変化してないとしたら,自家撞着の畸形児が量産されている社会ということになる。また,生活に心配なしに自由と平等を享受できる人間はごく限られていることを考えれば,まずは経済的な安定を満たすためにサラリーマン以外の選択肢はなかなか取りづらいというのも現実である。

高校時代に「いくら勉強していい大学に入っても,結局君らの資本は身体しかないのだから,労働者として働いて生活するほかない」と担任に言われたけれども,まさにその通りの世界が私たちの前に広がっている。それでも,ピンク色と道徳の解き難い哲学的な混交物に勤しむよりは進歩した社会だと信じて,私たちは選択をすべきなのだろう。もし,それもできない社会だと考えるのであれば,「社会」はそもそも(最初から)「自由」と「平等」の敵だということを思い起こし,戦うべきなのだ。
問いかけはこうだ。あなたはどっちの瓶を飲む?
それが厭なら,自分の頭脳に命をかける?

サミュエル・ラチェットを殺せ

クリスティが書く探偵小説は当時の大都市の性格を如実に表現している。『そして、誰もいなくなった』では、全く共通点のない人々が集まる大都心の典型的な特徴とともに、それによって埋もれていく軽重様々な犯罪と義憤をテーマとした。とりわけ、ウォーグレイブ判事の独りよがりの正義感に依拠した怒りは今ではインターネット上のそこかしこで見られ、時たま「炎上」として大きな話題となる、あの現象と通ずるものがある。また、『ABC殺人』は、地名という記号の中に犯罪の真犯人と動機を覆い隠し、加えて、記号化され、尊厳を奪われた相当数の被害者の名を明らかにしている。これらは、大都市の形成と発展に伴って、不特定多数の人々が流入し、流出するようになったために、そこに住む人々が平板化し、名前で呼ばれなくなり、いわば記号化していく過程の証左となるものだ。互いが互いの人となり、顔、名前ですら知らない場所。これを可能にするのが大都市であり、犯罪の温床として探偵小説の生を支えるものである。加えて、昨今の私たちの「生きづらさ」の根本原因の一つして悪名を轟かす現代社会の有名なテーゼとして捉えられている。

 

私のかねてからの持論(それは実のところ受け売りにすぎないのだが)は、「都市を森として捉えること」である。したがって、先に述べたような断絶され、疎外された人間の姿が専ら都市の相貌であるとすれば、私の考えとは相いれない。森は独自の生態系を持ち、外部者を拒絶する排他性を備えてはいるが、そこに住むものを孤立させることは決してない。森は奥深く、ウェットで重層的な世界である。人間が生きるコミュニティの中でこの世界像と一番マッチするのが大都市なのだ。

オリエント急行の殺人』は大都市の表層的な部分、つまり、名前で呼ばれず、誰ともつながらない記号化された人々と都市の深層と重層性によって成立しえた、至高の犯罪、否、作品であるといえる。ヤーヌスとしての都市が浮かび上がる。

 

「小さいデイジー・アームストロングを忘れるな」

 

私たちは決して孤立してなどいない。だからこそ、五感すべてで感じ、全身全霊で試行し、自らの自由を示せ。

「朝食」の日雇い労働者に対する一種の憧れみたいな感覚について

たった一度だけ読んだだけだけれども、私はジョン・スタインベックの「朝食」という短編を忘れることができない。主人公である一人の男が、ある朝、日雇い労働者のキャンプの近くを散歩していると、そこにいた労働者父子に朝食に招待されて、一食を共にする、というだけのごく短い掌編である。私の胸に去来するのは、労働者父子から出たあの言葉だ。あの言葉のせいで、私は今でも、いや、今だからこそ余計に、心を苛まれるのである。

 

「今日まで10日間仕事があるんだ。よかったら、お前にも紹介しようか?」

 

この掌編を手に取った当時、私は大学院生で、そろそろ就職を本格的に考えなければならない時期だった。当時は、団塊世代の大量退職とリーマンショック前の景気回復の恩恵が広がってきていて、新卒採用の状況も活気を帯びていたときだった。文系大学院生というハンディキャップを背負った私でさえも、「正社員になれるだろう」と、どこか気楽に構えていられたように思われる。そして、そのとおりになった。

私の入った職場は、給料、労働時間等、傍から見たら、相当な「安定」企業だったと思う。もしかしたら、今は夢の終身雇用だって達成できそうなステキ企業だった(実態はいろいろあったし、私の辞めるきっかけはかなり凄惨な状況を目の当たりにしたせいだけれども、古き善き「昭和」の職場の空気を多分に感じさせた)。いずれにせよ、私は七年後にその場所から去ってしまった。

転職をしたとき、なぜか「正社員」を避けてしまって、契約社員になった。

あの日雇い労働者が、屈託のない笑顔で「10日間も」という言葉を発することができた理由をずっと考えてきた。時々私の胸に去来して、ちょっとの時間だけ思い悩んだ、というのが実のところだけれども。彼は「日雇い」という生き方しか知らなくて、「終身雇用」とか「無機雇用」とか、「正社員」とかを知らなかったから、こんなことがいえたのだろうか。それとも、高度経済成長期の日本のように、これから豊かになることを信じることができる時代に生きてきたからだろうか。彼はただ、素朴で愚かだったから、「10日間」の雇用で満足できたのだろうか。

今の私は単純にこう感じている。彼はあの朝食の時間が幸せだったのだ、と。彼はその時、明日の失業を考えていないし、近い将来、食べていけなくなる可能性も彼の頭にはない。ただ、この朝食の時間、見知らぬ客人を招き入れたわずかな団欒の時間の中に彼の人生は没入している。その瞬間的な現在には、過去も未来も付け入る余地がない。そうやって、今を生きることができる、このことが私にとって憧れなのかもしれない。

私たちが将来を不安に思うのは、時代がそういう雰囲気である以上に、あの労働者のように現在を享受することを知らないせいなのだろうと思う。「終身雇用」という、日本において、ごくわずかな期間だけ成功したあのシステムもまた、結果として生まれたものだったのかもしれない。昭和から感じる幸せの残り香は、「終身雇用」による安定のおかげでもなく、社会が豊かになっていく時代の空気でもなくて、その時に生きた人たちが、今の瞬間を自分のものとして享受できたことによるのだろう。

正規・非正規という言葉を持ち込んで、「正社員」という瞬間を無視した、社会的な時間の琥珀の檻に個人を閉じ込めたところで、私たちは幸せを手にすることはできない。返す刀で付け加えると、「一億総活躍」というスローガンで人々を纏め上げられたとしても、せいぜい日露戦争を勝利に導くくらいのもので、あの時代に生きた人たちのささやかな幸せを私たちの社会にもたらすということにもならない。

 

私たちはいろいろと間違っているのだ。

はてなブログ開設にあたって

僕は一冊のノートと一本の鉛筆を買うことにしよう。僕は今できるだけ多くを書き記して,全てがこうやって後ろへ流れ去っていくことのないようにしよう。こんなに長い年月を僕は生きてきたが,全ては沈んでしまった。僕が始まったとき,それは僕のもとにあったか。僕にはもう分からない。

(ゴットフリート・ベン,『脳髄』より「脳髄」)

 

これもこれもきっかけは,私の転職であります。しかも失敗の転職です。いえ,前職に戻りたいという気持ちは全く持っておりませんが,今の職場も五ケ月目にして限界を感じつつあります。正直,三十路を過ぎて典型的な失敗ロードを進んでおります。

とはいえ,漫然と過ごしてきた時間を取りもどすことはできませんし,今この瞬間も可能性と契機をとり逃しながら消費され続けています。過ぎ去っていく一呼吸一呼吸に楔を打つ必要があります。本に折り目をつけてインデックスにするように書くこと,あるいは思い出す必要がないようにこの胸に刻み付けることが重要です(そう,「君と過ごした日々を」)。

そうやって,書き留めたものをスクラップアンドビルドすることが私の当面の課題です。ここは書き留められていく瓦礫のような私の時間の断片という断片を,私の歴史の天使に供するための集積庫となればよいと考えています。

できれば,出来事に即して具体的に書きたいところですが,どうもこういう性分ゆえ,また,引用魔ゆえ,自己完結型のまとまりに欠けた文章が積み上げられていくかもしれません。その点はご容赦のほど,ダメなら無視していただくことをお願いいたします。